【ブログ/煮込ミスト】ノスタルジーと活気が交錯する日本のリアル横丁

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今、作ることができない「リアル横丁」

近年、全国各地で「ネオ横丁」と呼ばれる、昔ながらの横丁を模した新しい飲み屋街が続々と誕生しています。レトロな雰囲気や多様な店舗が集まるスタイルは、多くの人々を惹きつけていますが、消防法などの現代の規制の中で、往年の横丁が持つ独特の空気感を再現することは難しいのが現状です。どうしても、整然としたフードコートのような造りになってしまう傾向があります。

2020年にオープンした渋谷横丁

一方で、かつては日本の各地に存在し、戦後の闇市をルーツとするリアルな横丁は、再開発の波に押され、その数を減らしています。近年では、立石の呑んべ横丁や札幌ひょうたん横丁といった、長年親しまれてきた横丁が姿を消してしまいました。

立石吞んべ横丁

それでもなお、全国には当時の面影を色濃く残す貴重な横丁がいくつか残っています。古くからの店は少なくなりましたが、新たなオーナーのもとで再び息を吹き返し、単なる飲み屋街にとどまらず、日本の戦後の歴史や、そこで育まれた人々の暮らし、文化を感じられる場所として、今なお多くの人々で賑わっています。

釧路 赤ちょうちん横丁

第二次世界大戦後の1952年(昭和27年)、リヤカー屋台村として始まった「赤ちょうちん横丁」。現在では70年を超える歴史があり、26店舗が軒を連ねています。漁業の街として発展してきた釧路の歴史と深く結びついた、北海道最古の横丁です。時代の移り変わりとともに姿を少しずつ変えながらも、今なお釧路の夜を彩る、人情味あふれる横丁として親しまれています。

【公式】 釧路赤ちょうちん横丁 - Home
北海道最古の屋台村 - 釧路赤横は、戦後間もない昭和27年(1952年)頃にリヤカー屋台で露店営業を開始しました。令和4年(2022年)でリヤカー屋台から70年、横丁の開設から61年目を迎える道内でもっとも歴史のある屋台村です。現在も個性あふれる店舗が営業をしてお客様を楽しませております。
釧路 赤ちょうちん横丁

八戸 8つの横丁

青森県八戸市は、東北有数の「横丁文化」が息づくまちで、中心街には「みろく横丁」や「花小路」「ロー丁れんさ街」「長横町れんさ街」「たぬき小路」「ハーモニカ横町」「五番街」「八戸昭和通り」の8つの横丁があります。

たぬき小路

老舗から新店まで多彩な店が並び、地元食材を使った料理や個性豊かなバーなどが八戸の夜を賑わせています。

ハーモニカ横丁

仙台 文化横丁&壱弐参横丁

宮城県仙台市の中心部に位置する文化横丁と壱弐参(いろは)横丁は、隣接する形で存在する歴史ある飲み屋街です。

壱弐参横丁

文化横丁は、大正時代に仙台初の映画館があった場所に形成されたと言われ、壱弐参横丁は、戦後の闇市がルーツです。狭い路地に様々なお店がひしめき合い、地元の人々はもちろん、観光客にも人気のスポットとなっています。その中でも文化横丁の源氏はもっともその歴史を感じられる仙台を代表する酒場です。

渋谷 のんべえ横丁

戦後の闇市をルーツに持つと言われる渋谷のんべえ横丁は、再開発が進む渋谷駅周辺において、ひっそりと、しかし力強く生き残るディープな飲み屋街です。狭い路地に40店近くの小さな店が軒を連ね、夜になると赤提灯が灯り、個性豊かな店主と常連客、そして近年ではその雰囲気を求めて訪れる若い世代や外国人観光客で賑わいます。

渋谷 のんべい横丁
話題のビルが立ち並んでいる“若者の街”「渋谷」。そんな渋谷の中心に『のんべい横丁』はあります。まるでタイムスリップした様な昭和のレトロな横丁に個性豊かな居酒屋が、所狭しと軒を並べています。
渋谷 吞んべえ横丁

新宿 思い出横丁

新宿駅西口の喧騒の中に現れる思い出横丁は、戦後の焼け野原から立ち上がった闇市がその起源です。かつては「ションベン横丁」とも呼ばれていましたが、1999年に現在の名称に改められました。焼き鳥やもつ焼きの煙が立ち上り、昭和の懐かしい雰囲気が漂うこの場所は、仕事帰りの人々や観光客にとって、気軽に一杯楽しめる憩いの場となっています。

うなぎの「カブト」や串煮込み「ささもと」で東京ならではの酒場文化を味わうことができます。

新宿 ゴールデン街

新宿東口、歌舞伎町のほど近くに位置するゴールデン街は、迷路のように入り組んだ細い路地に、築数十年以上の木造の長屋が連なる独特の景観を持つ飲み屋街です。戦後の闇市を起源とし、最盛期には300軒以上の店が軒を連ねていたと言われます。文豪や芸術家が集った文化的な側面も持ち合わせており、老舗酒場というよりは、個性的なバーやスナックが多く存在し、夜な夜な賑わいを見せています。そのレトロでアンダーグラウンドな雰囲気は、国内外の多くの人々を魅了し続けています。

吉祥寺 ハモニカ横丁

吉祥寺駅北口を出てすぐの場所に広がるハモニカ横丁は、戦後の闇市がルーツとされる歴史ある商店街です。その名の通り、ハーモニカの吹き口のように細い路地に100軒ほどの店舗がいくつも連なり、昼間は食料品店や雑貨店などが軒を連ねますが、夜になると一変、個性的な居酒屋やバーがオープンし、賑やかな飲み屋街へと姿を変える吉祥寺の活気あるシンボルです。

横浜 野毛

野毛は「横丁」という感じではないですが、古くから花街として栄えた歴史を持つエリアです。戦後、その賑わいを引き継ぐように、個性豊かな居酒屋やバー、大衆酒場などが軒を連ねる飲み屋街として発展しました。近年では、新しいスタイルの飲食店も増え、多様な楽しみ方ができるエリアとして注目を集めています。昔ながらの雰囲気を残しつつ、常に新しい息吹を感じさせるのが野毛の魅力です。

地上だけでなく、桜木町ぴおシティでは昼のみもでき、明るいうちから賑わっております。

横浜市 狸小路

横浜駅西口に位置する狸小路も、戦後の混乱期、闇市として自然発生的に生まれたと言われています。狭い路地に小さな店舗がひしめき合い、生活必需品から嗜好品まで、様々なものが取引される活気ある場所でした。その後、時代の変遷とともに、飲食店を中心とした飲み屋街へと姿を変えていきました。近年では、再開発の波を受けながらも、昔ながらの雰囲気を残す貴重なエリアとして、地元の人々や駅を利用する人々にとって、気軽に立ち寄れるオアシスのような存在となっています。

豚の味珍では、そのディープさを体験することができるでしょう。

川崎市 溝の口西口商店街

東急田園都市線・大井町線の溝の口駅西口に広がる商店街です。その起源は、戦後の混乱期、駅周辺に自然発生的に形成された露店や闇市にあると言われています。

「いろは」や「かとりや」などの飲食店を中心に個性的な店が軒を連ね、夜になると活気あふれる飲み屋街の様相を呈します。

静岡 青葉おでん街 青葉横丁

戦後、市役所前の青葉通りに約200軒のおでん屋台が軒を連ね、1968年(昭和43年)以降、道路交通法の施行などにより屋台のおでん屋さんが路上で営業できなくなり「青葉おでん街」「青葉横丁」に分かれたと言います。

静岡おでんの特徴は、黒はんぺんや牛すじなどの具材を濃いだしで煮込み、最後に魚粉や青のりをかけていただくスタイルです。

金沢 中央味食堂街

1966年(昭和41年)、金沢の繁華街・片町2丁目の路地裏に、かつて金沢にあった屋台の風景を懐かしみ、屋台風の飲み屋横丁をつくることがきっかけとなりました。横丁には、どの店もわずか3坪足らずの小さな店舗が並び、6〜8人も入れば満席になるような店が約20軒、軒を連ねています。

金沢市 昭和ロマンの屋台街 金沢 中央味食街
中央味食堂街

大阪市 ジャンジャン横丁

1918年に開業した飛田遊廓と新世界を結ぶ道筋として1921年に開通しました。​当初は「軍艦横丁」とも呼ばれ、狭い通路に多くの人が行き交う様子が軍艦内の通路に似ていたことに由来します。​戦後には、三味線や太鼓の音が響き渡る賑やかな商店街となり、「ジャンジャン横丁」の名が定着しました。

横丁とは言え、アーケードの商店街ではありますが、「ソース二度漬けお断り」で有名な串カツ屋をはじめ、昼から飲める立ち飲み屋や将棋クラブなど、大阪らしい庶民派の店が軒を連ねています。

福岡 三角市場

福岡市中央区渡辺通にある三角市場は、1950年頃に渡辺通一丁目の三角地にあった商店街が移転してできたと言われています。戦後の闇市が起源とされ、昭和の雰囲気を今に残す木造アーケードが特徴です。

かつては生鮮食品なども扱う市場でしたが、現在は約20軒の飲食店が軒を連ねるディープな飲み屋街として知られています。細い路地には、個性豊かな居酒屋やバーなどがひしめき合い、地元の人だけでなく、近年は若い世代にも人気のスポットとなっています。

鹿児島 名山堀

鹿児島市役所前に広がる名山堀は、かつて水路だった場所が大正時代に埋め立てられ、その両側に飲食店が立ち並ぶようになったと言われています。

現在、名山堀には当時の面影を残す石垣や水路跡がわずかに見られ、レトロな雰囲気を醸し出しています。近年では、古い建物をリノベーションした飲食店や雑貨店などが立ち並び、新たな賑わいを見せています。

那覇 栄町市場

那覇市栄町に位置する栄町市場は、戦後の混乱期、焼け野原となった場所に自然発生的に形成された闇市がルーツです。生活必需品から食料品、衣料品まで、様々なものが取引される人々の生活を支える場所でした。その後、徐々に店舗が整備され、市場としての形を整えていきました。

1972年の沖縄本土復帰後も、地域の人々の台所として賑わいを見せてきましたが、近年では、そのレトロな雰囲気に惹かれる若い世代や観光客も訪れるようになり、新たな賑わいを見せています。

那覇 牧志公設市場

国際通りからほど近い場所にある牧志公設市場は、「那覇の台所」として親しまれてきた歴史ある市場です。戦後の物資不足の中、人々の生活を支えるために自然発生的に生まれた闇市が起源とされています。その後、衛生環境の改善などを目的として、1950年に公設市場として開設されました。

関東のオーナーが市場内に店を構えたり、市場で働く人のための昔ながらの定食屋があったりと、昼飲みできるお店も多く、市場は一日中にぎわいを見せています。

まとめ

全国に点在する横丁は、単なる飲み屋街という枠を超えて、戦後の日本が力強く復興していく中で生まれた暮らしや文化を今に伝える、大切な場所だと思います。しかし近年は、都市開発や耐震基準の問題などから、少しずつその姿を消していく横丁も増えてきており、寂しい限り。

とはいえ、たとえ再開発されることになったとしても、その土地に根付いた歴史や文化、そしてそこにあった人々の記憶を大切にしながら、昔ながらの雰囲気を少しでも残した形で再生されることを願っています。横丁ならではの温かさやにぎわいは、日本の原風景のひとつとも言える存在です。そうした魅力を未来へつなげていくために、今こそ知恵と工夫が求められているのではないでしょうか。

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